慶応2年(1866)富山県の生まれで、高岡の善興寺で、飛鳥寛徹氏に師事していましたが。富山の門徒が大挙して北海道へ移住する際に来道を決意し、大正9年(1920)に妻のなをさんを伴って小樽別院の駐在となりました。
小樽で布教活動をしているうちに八垂別説教所の土阪恩流師親しい間柄であったこともあり、宝流寺の初代住職に任命されることになりました。とは言っても、大正10年に寺号公称が認可されるまでの諸手続きから、同15年に本堂が建立するまでは苦難の連続でした。

外見は厳つくゴツゴツとした風貌でしたが、半日近くもかけて白川村まで歩いて布教活動を行うなど信望も厚く、魅力のある人柄であったと伝えられています。
昭和7年(1932)に、富山時代に縁があった真通寺四男、友山薫松を養子に迎え、翌年の昭和7年に68歳で亡くなりました。