昭和10年生まれ
藻岩国民学校(現在の藻岩小学校)では、いつも級長を命じられ、スポーツの好きな活発な少年でした。
昭和23年、12歳で父薫松が亡くなってから、跡継ぎの薫心の学業が終わるまでということで、石山の善住寺住職、藤井知眼師が代務住職として来ていただくことになりました。藤井知眼師は、石山尋常小学校の教師を勤めていたこともあり、子供達や坊守も大変頼りにし、門信徒のためにお力を尽くしてくださいました。

昭和23年頃
母ヤスイ、姉朋子と
昭和29年、札幌南高校を卒業し、京都の龍谷大学短期部への進学を希望した際には、反対する門徒衆もいたにもかかわらず、藤井知眼師・総代・母ヤスイが相談し、本人の希望を叶えようと反対者を説得してくれました。「宝流寺学資志納簿」が各地区に回され、大勢の人達からの寄附が集まり、その資金を基に京都へ旅立つことができました。この「学資志納簿」は薫心の感謝の心が込められているように大切に保管しています。
2年後、短大を卒業し、龍谷大学へ編入を希望した際にも、関係者のお力で希望が叶えることができました。

昭和33年龍谷大学を卒業し、帰郷。9月に正式に宝流寺第三世住職に就任し、お寺での仕事が始まりました。皆様のご協力と持ち前の行動力で宝流寺の発展に勤めました。
昭和36年 老朽化していた庫裡を改築する。
昭和37年 杉田敦子と結婚する。
昭和38年 宝流寺に神田直也先生の珠算学校の分校を開校し、珠算の他に子供たちと一緒に遠足やキャンプを楽しむようになる。
昭和39年 もなみ幼稚園を開園する。
昭和45年 学校法人宝流学園が認可される。
昭和47年 本堂・納骨堂・庫裡を新築する。
昭和54年 札幌市議会議員となる。
第二もなみ幼稚園を開園する。
昭和57年 南の沢幼稚園を開園する。
昭和58年 札幌市議会議員二期目当選する。
昭和63年 札幌市議会議員三期目当選する。
平成3年 札幌市議会議員四期目当選する。
平成7年 札幌市議会議員五期目当選する。
札幌市議会議長に就任する。
平成11年 札幌市議会議員六期目当選する。
平成12年 藍綬褒章を受章する。
本堂・ホール・囲障門改築落成する。
平成13年 「宝流寺」開教百年記念事業厳修。
柴田範尚に住職継職する。